僕が数学を好きになった理由

小学生のころまでは、単純な計算は得意だったが、パズル的な問題になると途端に解けなくなっていた。

中学生になって「算数」が「数学」というちょっとかっこいい名前になってからも、最初のあたりは計算の比重が大きかったし、解いているうちに段々理解できたので、そんなに苦労はしなかった。しかし、2年になって少し難しい内容になってきた時期と、宮崎の付属中から福岡の付属中に転校してきた時期が重なり、一部の範囲をやらないままに進んでいったため、少しずつ苦手になってきたのを覚えている(福岡の中学が宮崎の中学よりもレベルが高かったというのもあった。)

まともに数学と向き合うようになったのは中学三年の4月頃、数学の教師が皆に出した「ラングレーの問題」が最初だった。「ラングレーの問題」とは、次のような問題だ。

角度を地道に計算していっても、全く求まらず、全然解けなかった。そして誰一人解けないので、授業時間の半分あたりを過ぎたところで、先生が前の黒板にヒントを書いた。僕はなんだか悔しいので見なかったのだが、他の人たちの会話から、どこかに平行線を引けば良いらしいと知り、色々試行錯誤して、昼休みが終わるころには解くことができた。先生はどうやら見ていてくれたらしく、解けたと知るとこっちにきて答え合わせをしてくれた。今思うといい先生だったと思う。(僕が持ってきた美術の作品をほかの先生の前で笑ったのは酷かったと思うが。)

 

そんなわけで、その日から数学に少し興味をもつようになった。

本屋で図形問題の載っている問題集を買い、解くようになった。特に「目で解く幾何」シリーズを何周もしていたと思う。先述の通り、福岡の中学は宮崎の中学よりもレベルが高かったため、宮崎ではかなり上位だった僕も、中の上くらいになっていたから、一つでも他の人より勝る教科ができて嬉しかった覚えがある。(今思えば、他の人と同じように塾に行っていればよかった。)

さて、そんな風にして色々な問題集を解いていると、ある日数学オリンピック本選の図形の問題に出会った。確かある特殊な正三角形の面積を求める問題だった。その問題が2、3分で解けたことで、自分を過大評価するようになった。(今思えば単に巡りあわせが良かっただけだったのに)

この頃から、難しい問題をクラスメイトに見せては、解けなかったらこう解くんだと自慢し、段々ウザがられるようになった。(正直俺が全面的に悪かったように思う。中二病だったのだ。今となってはものすごく恥ずかしい。元クラスメイトの人たちごめんなさい。)

その後、ジュニア数学オリンピックの予選を受けてみるも、12問中4問程度の正解数で、当然落ちた。(ここで素直に自分の力不足を認めていればよかったものを)

その後、たまたま高専のパンフレットを配られたことで、高専の存在とその自由な校風を知り、ここに入ってひたすら数学の勉強をして、数学オリンピックに出たいと思うようになった(何て身の程知らずだったんだろう)

そして高専に受かり、入学することとなる。その後の堕落はまた別の記事で書きたい。